不安や恐怖は抑えたりぶつけたりするより感じる方が結果的に心が平和になるんじゃないかな?という仮説

ども、こんにちは。高インボムです。

そんなこんなで世間は新型コロナウィルスに関するニュースで持ち切りですね。

ウィルスそのものの危険や問題もさることながら、そこから派生した経済のダメージ、毎日のニュースから感じる不安や恐怖、特定の商品が店頭から無くなるなど、軽く社会的なパニックともいえる状況になっているかもしれませんね。

 

こんな時にはそのパニックに対処するために様々な意見が飛び交うし、時には「過去から何を学んできたんだ」みたいな話にもなるわけですが、

僕個人的には、「人間は感情で動く生き物やし、パニックになるのはしょうがない気もするな~」なんて思ったりしています。

 

 

人類の扱うテクノロジーがどれだけ発達して、世の中のシステムがどれだけ合理的になっても、人間が感情で動く生き物ってことは何も変わらないわけで。

ちょっとした不安や恐怖をきっかけに社会でパニックが起こるのは、何百年も前から同じ。

今回に限らず人類史で何度もパニックが起こるのは、歴史から学べていないんじゃなくて、人間がそういう生き物だからじゃないかなと。

 

なので、もしも歴史から学べるとしたら、パニックにならない知識や理屈ではなく、人間社会ではいつでもパニックが起こり得ると知っておくことなのかな〜と思ったり。

 

 

また、最近は色んな意見が色んな感情とともに飛び交っていて、場合によってはそれらがぶつかり合うことで少し殺伐とした雰囲気を感じたりもしています。

 

でも、どんな事にも不安や恐怖を感じない人なんて多分いないでしょうし、不安や恐怖を感じる対象って人によってそれぞれ。

僕自身は、健康への不安はあまりないけど、仕事が減ることの不安は感じるタイプ。

その反対に、仕事の不安はないけど健康での不安を感じる人もいるでしょうし。

 

そう考えると、今世の中に出てる色んな意見や主張や議論は、それぞれのポジション(それぞれの感情のポジション)に基づいたものなんじゃないかな?と思ったりしています。

で、それはつまり、それらの意見や主張がある意味どれも正しいのかもしれないな〜と。

 

そんな事を思っていると、『何が正しいか』『誰が正義か/悪か』よりも大事なものがある気がしてくるんですね。

 

 

政治政策のことはまた別の話として、もしもそれぞれが感じている不安や恐怖を解消するために様々な意見や主張のぶつかり合いが起きているのだとしたら、

それらをどれだけぶつけ合ってもその元にある不安や恐怖の感情はなかなかおさまらない気がするんですね。

 

それよりも、

「あなたにはこんな不安があるんですね」

「私にはこんな不安があるんです」

とお互いの不安を感じ合うこと、共有することの方が、皆が平和になるには必要なんじゃないかな?と。

 

感情って見えないものなんで、それを抑え込んだりぶつけたりするよりも、しっかり感じてあげる方が、その正体がわかって安心できるかもしれないし、心が癒されて不安や恐怖も和らいでいくんじゃないかな?と。

好きなコーヒーを飲んで一息つきながら、そんなことを思ったりしている今日この頃です。

 

 

とまあ、ドラムとは関係ない話ですが、なんとなく自分が最近思っていることをつらつらと書いてみました。

そんなこんなで本日はこれにて。

サラバオヤスミマタアシタ!