ブログ

カラダ

バンザイはできますか? -胸郭の機能、胸椎伸展、腕の動き-

ども、こんにちは。高インボムです。そんなこんなで、前回のブログで「腕はどこからどこまでか?」「腕の根元はどこなのか?」という話をしました。 結論としては、「鎖骨&肩甲骨から先が腕」「腕の根元は肩ではなく胸」という事でした。また、そういったこ...
カラダ

腕ってどこからどこまで? -腕の根元は肩ではなく胸-

ども、こんにちは。高インボムです。そんなこんなでドラムや楽器の演奏はもちろん、直立して身体活動を行う人間にとって多彩な役割を果たす身体の部位、腕。 その腕ですが、どこからどこまでのことを指すのかご存知でしょうか?もしくは、腕の根元はどこだと...
雑記

新年の目標を立てるよりも〇〇する方が良いらしい、という話

ども、こんにちは。高インボムです。そんなこんなで年が明けて数日経ちましたが、いかがお過ごしでしょうか。 新年と言えば、「新年の抱負は?」とか「今年の目標は?」なんて話題になることがありますが、実は新年の目標を立てるよりも前にやった方が良い事...
雑記

謹賀新年2025

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!高インボム
ドラム

【ドラム】練習してるけど伸び悩んでいる初心者の方はコレを試してみてください

特にドラムの初期段階で伸び悩んでいる方の多くは、『両手同時(ボース)の連打』と『両手交互(オルタネイト)の連打』が不安定な傾向があります。また、その二つが上手くできるためには『片手の連打』も大切になるので、『片手の連打』『両手同時の連打』『両手交互の連打』という三要素を改めて見直して、それらを色々な速さで一定時間続けるという練習をオススメしています。また、この三要素をそれぞれ見直したら、今度はそれらを組み合わせて練習してみましょう。実際のドラミングでも、この三要素が組み合わさって様々なドラムパターンになっているので、連打の組み合わせ練習でそのための基礎を作れると良いかと思います。
お知らせ

【YouTube】ライヴ配信をやります!

ども、こんにちは。高インボムです。そんなこんなで、YouTubeのライヴ配信をやります!というお知らせです。 以前に何度かお試しでライヴ配信をした事はあったのですが、今後はもう少し頻度を上げて行なっていこうかと思います。内容としては、ドラム...
雑記

発表会、無事に終わりました!

ども、こんにちは。高インボムです。そんなこんなで合同参加させてもらった海老名SOL MUSIC SCHOOLの発表会(2024秋)が終わりました。 発表会としては珍しい屋外ステージでの演奏。当日は雨が降って一時中断する場面もありましたが、無...
カラダ

しゃがむ事はできますか? -股関節が硬いことで起こる弊害とその対策-

股関節が硬いことによる弊害は色々ありますが、身体操作の観点から考えるとまずは『上半身と下半身の分離ができない事』がその大きな一つになるかと思います。股関節が硬いということは、骨盤(腰)と大腿骨(太もも)が一体化してしまうという事です。それによって上半身と下半身を分離することができずに動きが干渉しあってしまい、全身のスムーズな連動を妨げる要因になります。上半身と下半身が分離できないと身体操作において相当不利になってしまうので、これは大きな弊害だと言えると思います。
お知らせ

【発表会】海老名SOL MUSIC SCHOOLの発表会にウチも合同参加させてもらいます!

ども、こんにちは。高インボムです。そんなこんなでタイトルにある通り、発表会のお知らせです。 この度、僕がお世話になっている海老名の『SOL MUSIC SCHOOL』の発表会に、ウチも合同参加させてもらうことになりました。レギュラーで通って...
心理

【アドラー心理学の誤解】課題の分離は手段の一つであって目的ではない、という話。

アドラー心理学の話になると必ずと言っていいほど出てくる定番のキーワード、『課題の分離』。実はこれ、アドラー本人が提唱したものではないんですね。実際に、アドラー自身の著書には『課題の分離』という言葉やそれに類する概念は全く出てきません。/アドラー心理学には、ベースとなるいくつかの理論と様々な技法がありますが、それらを支える土台として『共同体感覚』という概念があります。『共同体感覚』とは何なのか。アドラー自身は『共同体感覚』のことを『所属感』『信頼感』『貢献感』の三つの要素で説明しており、現在のアドラー心理学ではそこに『自己受容』を加えた四要素で説明される事が多いかと思います。/『課題の分離』とは相手を突き離してバラバラになるためのものではなく、もちろん誰かを支配したり裁いたりするためのものでもなく、お互いが健全に繋がり合うためにまずは一人一人が自立しよう、といったものなんですね。つまり、『課題の分離』とは『共同体感覚』に向かうための手段の一つ、というわけです。/「個々が自立した上で全体の一部として生きる」という考えは、古代ギリシアのストア派哲学や江戸時代の日本で記された葉隠でも説かれていますし、昔の東洋思想も同じような事を言っている気がします。場所や時代が違っても、人間の本質を突き詰めていくと最後は同じところに辿り着くのかもしれないな〜なんて思う今日この頃です。