自分次第のものに注力しよう! -ストア派哲学が説く心の平静と自由-

心理

ども、こんにちは。高インボムです。

そんなこんなで何年か前に話題になった『Think clearly』という本を今更ながらに読んでいまして。

ロルフ・ドベリさんというスイスの作家の方が書かれた本で、「よりよい人生を送るための52の思考法」といった言葉で紹介されているビジネス書です。

世界29カ国で翻訳されているベストセラーとのことですが、それも納得のできる内容で、広くオススメしたい一冊です。

 

で、この本を読んでいると、その中で何度か出てくる言葉があるんですね。

それは『ストア派』。

 

ストア派とは、古代ギリシア哲学の代表的な学派の一つです。

『Think clearly』を読む限り、著者のロルフ・ドベリさんはストア派哲学にかなり影響を受けていると思われます。

そしてこのストア派哲学が説く物事の捉え方や考え方は、僕が好きなアドラー心理学にも共通する部分が多くて興味を持っている分野でもあり、数年前から少しずつ勉強しているところです。

 

というわけで、今回はストア派哲学について学んだことを、自分のアウトプットも兼ねてここにまとめてみようと思います。

 

 

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ストア派の始まり

紀元前から始まる古代ギリシア哲学のことをヘレニズム哲学とも言ったりしますが、ストア派はその中の代表的な一学派で、同時代の他の学派と同じく個人のより良い生き方を追求した哲学です。

 

ストア派の創始者はゼノンという哲学者だとされています。

ゼノンはソクラテスについて書かれた本との出会いをきっかけに哲学を学ぶようになるのですが、その過程で徐々に自分自身の思想が確立されていき、後にそれを人前で説くようになったのがストア派の始まりとの事。

それが紀元前3世紀の初め頃とのことなので、ストア派哲学の始まりは今から二千数百年前という事になります。

 

以降、数百年にわたり様々な人たちがストア派を学び実践して説いていくわけですが、時代によって前期・中期・後期に分けられ、ストア派を語る際によく名前の出てくるセネカ、エピクテトス、アウレリウスといった人たちはいずれも後期ストア派の代表的な人物です。

 

ちなみに、禁欲的な態度や自分を厳しく律する様子を表す「ストイック」という言葉がありますが、その語源はこのストア派にあるとされています。

 

 

心の自由を得る

ストア派の思想の大きなテーマとして『自由』があります。

一言に自由と言っても、肉体的自由や経済的自由など様々な自由がありますが、ストア派の言う自由とは『精神的自由』、つまり『心の自由』のことです。

では、心の自由とはどういうものかというと、それは『あらゆる不安や恐れから解放された状態』のことを言います。

『心の平静』という表現で語られることも多いです。

 

そして、自由(心の自由)とは、万人に与えられた平等の権利ではなく、学びを実践した人だけが辿り着ける境地だというのがストア派の教えです。

 

というわけで、ストア派では学んだことを生活の中に取り込み実践していくことで心の自由を得ることを目指すのですが、その際にとても重要になる考え方があります。

 

 

自分次第のものとそうではないもの

ストア派哲学における自由を得るためのとても重要な考え方。

それは、物事を『自分次第のもの』と『自分次第ではないもの』に分けて捉えること。

そして「自分次第ではないものについては執着せずに受け入れるようにして、自分次第のものに意識を向けて力を注ぐようにしよう」というものです。

これはアドラー心理学の『課題の分離』にも通じるような考え方です。

 

ストア派の言う『自分次第のもの』とは主に自分の精神にまつわるもので、自分の意思や思考、それに伴う判断や行動など、自分でコントロールできる物事を指します。

一方の『自分次第ではないもの』とは、肉体にまつわるもの(老いや病気や死)、富や財産にまつわるもの、他者の言動にまつわるものなど、自分の思い通りにはできない物事を指します。

 

自分次第のものは、(自分に100%の責任を持つことができれば)他の誰かや何かに妨げられることもなければ強制されることもない(=本質的に自由であると言える)一方、自分次第でないものは他の誰かや何かに左右されるもので、そういったものを手に入れようとしたり避けようとしたりすると心の平静や自由を得ることが難しくなってしまう。

よって、自分次第ではないものをコントロールしようとするのはやめて、自分次第のものにフォーカスしていこう、というわけです。

 

僕自身のことに当てはめると、例えばここ数年YouTubeのショート動画に精を出しているのですが、その再生回数や登録者数の増減といった視聴者のリアクション(=自分次第ではないもの)はコントロールできない。

そんなことに一喜一憂するのではなく、自分のやるべき事(動画の投稿や日々の練習など=自分次第のもの)に集中しよう!という感じでしょうか。

まあ、ついつい他者のリアクションが気になってしまうのですが…(汗)

 

 

不安や恐れが自由を奪う

ちなみに、なぜ人は自分次第ではないものをコントロールしようとするのか。

自分次第ではないものをどうにかしようとしても苦しむだけだとわかっているのに、そんな事をしてしまうのはどういう時か。

それは、心に不安や恐れがある時です。

 

先程、心の自由とは『不安や恐れから解放された状態』と述べましたが、逆に言うと不安や恐れが心の自由を妨げる要因になるわけですね。

 

なので、ストア派では「自分次第のものに注力しよう」という教えと共に、「自分の内面と向き合って不安や恐れを手放していこう」といったことも説かれています。

 

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自然に従って生きる

ストア派哲学では自然に従って生きるといったことも説かれています。

これは原始的/野生的な生き方をしようといった意味ではなく、『ロゴス』に従って生きることを指しています。

 

ロゴスとは普遍的な真理を表す言葉で、この世界の根源的な摂理から人間の本質的な理性までを含んだ幅広い意味合いの概念です。

僕なりの解釈になりますが、ロゴスに従って生きることを具体的に言い表すと、「自分の外側で起こる物事についてはありのままに受け入れ、自分は全体の一部である事を知り、理性を用いて他者や環境と調和し、心を自然な状態に保って生きること」という感じです。

このあたりはアドラー心理学の『共同体感覚』とも共通するような考え方のように思えます。

 

また、古代中国の老子(老荘思想)にも、万物の源であり普遍の真理である『道(タオ)』という概念があり、道(タオ)に従って生きることが説かれていますが、それとも似たような思想ですね。

 

 

奴隷のエピクテトス、皇帝のアウレリウス

ストア派哲学を語る上で外す事のできない人物が何人かいますが、その中で個人的に興味を惹かれるのはエピクテトスとマルクス・アウレリウスの二人です。

 

この二人はどちらも後期ストア派における代表的な人物ですが、エピクテトスは元奴隷の哲学教師、アウレリウスは貴族出身で第16代ローマ皇帝。

生い立ちや社会的立場という観点からは対照的な人物が同じ哲学に影響を受け、それを学び実践していたというのはとても興味深く感じます。

 

また、この二人にまつわる書物で、エピクテトスの『語録』と『要録』、アウレリウスの『自省録』という本があります。

『語録』と『要録』の二つはエピクテトスの教えをその弟子であるアリアヌスがまとめた書物で、エピクテトスがおこなった講義の内容を収めたものが『語録』、それを要約したものが『要録』です。

『自省録』は、皇帝の座についたアウレリウスが業務の傍らに自分自身へ向けて書いた内省的エッセイ集です。

いずれもストア派を語る際には必ずと言って良いほど名前の出てくる書物で、個人的にはエピクテトスの『要録』はストア派哲学を知るための最初の一冊としてちょうど良いんじゃないかと思っています。

 

 

おわりに

というわけで、ストア派哲学についてこれまでに学んだ事をまとめてみました。

「言うは易し、行うは難し」なんて言葉がありますが、それはまさにストア派哲学の事だな〜と改めて思います。

 

僕自身は数年前にエピクテトスの本を読んだ事をきっかけにストア派のことを知ったのですが、そのエピクテトスは「哲学で最も重要なのは教えを実践することだ」と言っています。

つまり知識を知っているだけではダメで、何事もそうですが、結局は実践あるのみというわけですね。

ストア派の教えは奥深くて難しい部分や厳しい側面もありますが、その思想の根幹はある意味でとてもシンプルであり、できることから少しずつ生活の中に取り入れていきたいと思います。

 

「自由とは学びを実践した人だけが辿り着ける境地」というストア派の教え。

少しでもその境地に近づいていければと。

 

てなわけで、本日はこれにて。

サラバオヤスミマタアシタ!