“THE ALL IS MIND; The Universe is Mental.”を訳していくと「心の状態ってメッチャ大事よね」という解釈になった

心理

ども、こんにちは。高インボムです。

そんなこんなで前回のブログで「マインド(mind)とメンタル(mental)の違いって何だろう??」という考察をし、そのきっかけになったのがとある本に出てくる一文だという話を最後にしました。

 

その文章とはコチラ。

THE ALL IS MIND; The Universe is Mental.

 

この一文、スピリチュアルやニューソート系の思想・哲学が好きな人はご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

1908年にアメリカで出版された『THE KYBALION(ザ・キバリオン)』という本の中にある一節です。

 

 

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キバリオンについて

最初にこの『THE KYBALION』という本について軽く紹介しておきます。

1908年にアメリカで出版されたもので、著者はスリー・イニシエイツという表記なっていますが、ニューソート作家の一人であるウィリアム・W・アトキンソンが書いたものだというのが定説になっています。(これに関しては諸説あるのですが、説明すると長くなるので今回は割愛します)

 

本の内容は、古代のエジプトとギリシアに由来するヘルメス哲学のことを書いたもので、「7つの原理」を元に、大自然や宇宙の根源的な法則とその中での生き方を説いたものです。

色々な解釈が可能で、科学的でもあり宗教的でもあり、はたまた最近よく耳にする量子力学にも通じるような内容も含まれています。

また、細かい話は省略しますが、この『THE KYBALION』は以前ブームになった『The Secret(ザ・シークレット/引き寄せの法則で有名な作品)』の源流の一つでもあります。

 

で、冒頭の英文は、この本の中に出てくる7つの原理の一番目「The Principle of Mentalism(メンタリズムの原理)」を説明する一文です。

 

ふとこの一文を思い出した時に、今更ながらに「もしかしてMindとMentalって意図的に使い分けてるのでは?」と思ったわけです。

実際にこの本の中では「Mind」「Mental」「Spirit」といった心や精神を表す単語が何度も出てきていて、それぞれを明確に使い分けているように思えます。

というか、それぞれの単語について調べているうちに、英語圏の人からしたら使い分けるのが当たり前の事なんじゃないかという気もしてきました(笑)。

 

 

色々な捉え方

「THE ALL IS MIND; The Universe is Mental.」というこの文章は色んな解釈や訳し方があって(というかこの本の内容全般がそうですが)、この一文はいわゆる「思考は現実化する」ということを表しているとも言われたり、もっと根源的な宇宙の成り立ちを表しているとも言われます。

そして、前半は全て大文字なのに対し、後半はそうでないのを受けて、二つの意味を説いているとも言われたり、強調するためにそういう表現をしているだけで一つのことを説いているとも言われたり。

そんなわけで、まずはストレートに訳してみます。

THE ALL IS MIND; The Universe is Mental.

全ては心であり、宇宙は精神的である。

 

一般的な日本語訳はこのようなものが多く、これだけでも十分示唆に富む表現ですが、実はここにある「THE ALL」というものについて、後のページで何度もその説明が出てくるんですね。

そのことから、「THE ALL」とは単純な意味の「すべて」ではなく、もっと根源的な意味の「すべて」、例えば中国・老荘思想における「道(Tao)」や古代ギリシア・ストア派哲学にある「ロゴス」、ネイティブアメリカンの思想にある「グレートミステリー(グレートスピリット)」などにあたる概念と解釈できます。

 

それを踏まえて再びこの一文を訳してみると、

THE ALL IS MIND; The Universe is Mental.

THE ALLとは心であり、宇宙は精神的なものである。

大体このような感じになるかと思います。

 

ちなみにTHE ALLと宇宙の関係について、「The Universe is Mental–held in the Mind of THE ALL.(宇宙は精神的なもので、それはTHE ALLのマインドによって保たれている)」や「THE ALL creates in its Infinite Mind countless Universes, which exist for aeons of Time(THE ALLはその無限の精神の中に無数の宇宙を創造し、それらは永劫に存在する)」などの記述があることから、「宇宙はTHE ALLがその心の中に作り出した精神的な創造物」と解釈されたりします。

これは近年言われる「シミュレーション仮説」にも通じるような考え方ですね。

 

 

MindとMentalの違いを改めて確認

ここでふと思うのが、「宇宙の全ては心だ」ということを言いたいなら、例えば「THE ALL IS MENTAL; The Universe is MENTAL.」でもイイんじゃないか?ならばなぜそうではないんだろう?ということ。

単に文法上の関係でそういう表現になっているのかもしれませんが、後々の文章を見ていくとMindとMentalは意図的に使い分けているように感じるんですね。

 

で、その二つの言葉の違いが気になって調べてみたのが前回の記事。

そしてその考察の結果が、

  • Mind(マインド)= 思考、意志、信念、価値観
  • Mental(メンタル)= 精神の状態、心の調子
  • Mind(マインド)はMental(メンタル)が土台となって形成される

というものでした。

 

MindとMentalはどちらも心や精神に関する単語ですが、そのニュアンスはそれぞれ違うわけですね。

 

 

心の状態ってメッチャ大事よね〜

というわけで、自分なりにMindとMentalの違いを意識して捉え直して、また、壮大な宇宙の成り立ちや原理としての訳し方も良いのですが、どうせなら自分の日常に活かせるように少し幅を狭めて解釈してみると、このように捉えることも可能かと思います。

THE ALL IS MIND; The Universe is Mental.

全ての源は思考であり、目の前の世界は心の状態の表れやねん。

 

スミマセン、こんなところでつい関西弁が出てしまいました(笑)

先程述べた通り、「THE ALL」は道(Tao)やグレートミステリーと同様の概念と読み取れるわけですが、それをさらに突き詰めていくと色んな意味での「全ての源」(宇宙における全ての源であると同時に、自分にとっての全ての源)という解釈も可能なんじゃないかと思いました。

そして、その全ての源は「Mind」、つまり思考や意志や信念だというわけですね。

 

また、「Universe」には「宇宙」や「世界」という意味があったり「The Universe」では「万物」という意味にもなるようで、では自分にとっての「Universe」とは何だろう?と考えると、それは「今、目の前に広がっている世界」とも言えるかな〜と。

この「目の前に広がっている世界」には、「目の前の世界をどう解釈してどう捉えているのか」という事も含まれます。

 

そして、目の前の世界の捉え方というのは心の状態によって変わるものですし、「Mind(思考)はMental(心の状態)が土台となって形成される」ということも改めて思い返すと、

最終的な僕の解釈は

THE ALL IS MIND; The Universe is Mental.

心の状態って

メッチャ

大事よね〜

となりました。

 

意訳しまくった結果、色々すっ飛ばして何ともありきたりでシンプルな表現になっていますが(笑)、

「全ての源は思考で、思考の土台は心。また、世界の捉え方は心の状態によって変わるので、自分の目の前の世界は自分の心の表れとも言える。つまり、心の状態が全てにおいて大事」

というわけです。

 

ちなみにキバリオン好きな方の中には「思考は全ての種であり、心はその土壌である」という意訳をされる方もいて、個人的にとても好きな表現です。

 

 

おわりに

というわけで、一時期ブームになった引き寄せの法則の源流でもあり、近年話題の量子力学にも通じる本『THE KYBALION』の中にある有名フレーズ “THE ALL IS MIND; The Universe is Mental.” の意味を、自分なりの解釈も含めて改めて考えてみました。

 

この『THE KYBALION』という本、いわゆるスピリチュアルなことを書いた内容でありながらも、その一方で「地に足をつけて生きよう」「精神世界も大切だが現実世界も同じように大切だ」みたいなメッセージもあって結構好きです。

特に第6章「THE DIVINE PARADOX」では、「スピリチュアルの罠にハマらないように、目の前の現実を大切に生きていきましょう」といったことが章を丸ごと使って書かれています。

個人的にスピリチュアルな話は好きな方ですが、それに偏りすぎると目の前の現実との乖離が起きて日常生活がおかしくなるような気がするので、精神性を説くと同時に物質的・現実的なメッセージも含まれているバランス感がイイなと思います。

 

原書は既に廃盤となっているのですが、著作権が切れているからか、英語の原文は色んなサイトでダウンロード出来るので、興味のある方は探して読んでみても面白いかもしれません。

僕は昔ザックリと読んだだけだったんですが、最近また興味が湧いてきて、ネットの辞書や翻訳サイトを使って少しずつ読み直しています(便利な時代になりました)。

ちなみに日本語版の書籍もあるのですが、訳者によってニュアンスが変わるのでキバリオン好きな方の多くは英語版の原文を読むことをオススメしていて、両方読んだ結果僕もそう感じています。

最初にも述べましたが、著者の意図や意向は別にすると様々な解釈ができる内容なので、自分なりに捉えたり読み返したりすることで色んな気づきや発見に繋がるのが面白いな〜と思います。

 

てなわけで、本日はこれにて。

サラバオヤスミマタアシタ!