心理

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自分次第のものに注力しよう! -ストア派哲学が説く心の平静と自由-

ストア派哲学における自由を得るためのとても重要な考え方。それは物事を『自分次第のもの』と『自分次第ではないもの』に分けて捉えること。そして「自分次第ではないものについては執着せずに受け入れるようにして、自分次第のものに意識を向けて力を注ぐようにしよう」というものです。これはアドラー心理学の『課題の分離』にも通じるような考え方です。ストア派の言う『自分次第のもの』とは主に自分の精神にまつわるもので、自分の意思や思考、それに伴う判断や行動など、自分でコントロールできる物事を指します。一方の『自分次第ではないもの』とは、肉体にまつわるもの(老いや病気や死)、富や財産にまつわるもの、他者の言動にまつわるものなど、自分の思い通りにはできない物事を指します。自分次第のものは、誰かや何かに妨げられることもなければ強制されることもないので本質的に自由である一方、自分次第ではないものは、それを手に入れようとしたり避けようとしたりすると自分以外の誰かや何かに左右されながら生きていくことになり、心の平静や自由を得ることが難しくなってしまう。よって、自分次第ではないものをコントロールしようとするのはやめて、自分次第のものにフォーカスしていこう、というのがストア派の教えです。
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How思考は未来へ、Why思考は過去へ -上達する人に共通する思考と行動のサイクル-

上達する人を観察していると「How思考」→「実践」→「Why思考」→「見直し」というサイクルを繰り返しおこなっているのがわかります。そうすることで、より適切な選択肢が見つかったり行動の精度が上がったり、はたまた目的の確認や軌道修正をしていく事になるので、さらなる上達に繋がるんですね。/「どうしたら?」と考えることをHow思考、「なぜ?」と考えることをWhy思考、なんて言ったりします。「How(どうしたら)」を考えることで道を切り拓くことができるし、「Why(なぜ)」を考える事で原点に立ち帰ることができるわけですが、これは視点を変えればHow思考は未来に、Why思考は過去に焦点を当てているとも言えます。
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“THE ALL IS MIND; The Universe is Mental.”を訳していくと「心の状態ってメッチャ大事よね」という解釈になった

"THE ALL IS MIND; The Universe is Mental."この一文、スピリチュアルやニューソート系の思想・哲学が好きな人はご存知の方もいらっしゃるかもしれません。1908年にアメリカで出版された『THE KYBALION(ザ・キバリオン)』という本の中にある一節です。『THE KYBALION』は以前ブームになった引き寄せの法則の元ネタでもあり、その内容は古代のエジプトとギリシアに由来するヘルメス哲学のことを書いたものです。
心理

マインド(Mind)とメンタル(Mental)の違いが気になったので調べてみた -思考は心が土台となって形成される-

『マインド』は、思考や意志なども含む心や精神という意味であり、英文では動詞として使われる事もあるとのことで、何かに対して意識や心を向けるようなニュアンスがあります。また、例えばマインドセットなんて言葉もあるように、マインドという単語は信念や価値観、志や考え方といった意味合いとしても使われていますね。 一方の『メンタル』は、その大元となる心の調子や精神の状態を意味するニュアンスがあります。たしかに、メンタルが好調/不調とは言っても、マインドが好調/不調とは言いませんね。他にも、マインドが合ってる/間違ってるとは言っても、メンタルが合ってる/間違ってるとは言いません。そして、このように考察していくと、マインド(思考、意志、考え方)はメンタル(心の調子、精神の状態)が土台となって形成されていると言える気がします。例えば、マインドを良い方向に持っていくにはまずはメンタルを整える事が大切、という感じ。マインドとメンタルの違いについてまとめると、『マインド(mind)= 思考、意志、信念、価値観』『メンタル(mental)= 心の調子、精神の状態』『メンタルが土台となってマインドが形成される』という感じでしょうか。
カラダ

フィジカルとメンタルの共通理論 -分離がスタート、目指すは調和-【身体操作とアドラー心理学】

身体を分離させて動かす事が出来たら、今度は各部位の動きを繋げて統合していくことで全身をよりスムーズで機能的に使えるようになるわけですが、先程と同様に考えるとこれはアドラー心理学の『共同体感覚』にあたるとも言えます。共同体感覚とは『他者と繋がり調和した社会を形成すること、そしてそれが人としての幸せに繋がる』という概念ですね。アドラー心理学では、対人関係の最終目標は『共同体感覚』だと考え、その入口として『課題の分離』があるとされますが、身体の各部位を個別の人物、全身を人間社会、という風に置き換えて考えていくと身体操作も全く同じだな〜と思えてきます。全身がうまく調和して繋がることで高度な身体操作が可能になりますが、そのためには身体の各部位を分離してそれぞれ独立した動きができる必要がある、という感じですね。さらにそのためには、姿勢や脱力など『カラダのあり方』がとても重要になるのですが、これもアドラー心理学に置き換えると『ライフスタイル(≒心のあり方)』という概念になるかなと思います。
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『望まないものにはフォーカスしない』とは『見たくないものから目を背ける』ってことではない説

「自分の現実は自分が創っていて、自分の望む現実を創るには、望むものにフォーカスして望まないものにはフォーカスしないこと」というのはその通りだと思うのですが、それは目の前の現実を無視してできるものではなく、むしろ目の前の現実を直視してからの話だと思うんですね。目の前の現実には自分がポジティブに感じるものもあればネガティブに感じるものもあるけど、まずはそれらをありのまま捉えた上で、望むものにフォーカスし、望まないものにはフォーカスしない、ということ。今の自分に見えている世界を受け容れた上で、出来る限り望むものを選択し、望まないものは選択しない、というのが大切なんじゃないかなと。
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カラダの土台は骨格、ココロの土台は自己受容(≒女性性)

ども、こんにちは。高インボムです。 先日、レッスンで心理学やメンタルの話になったり、ツイッターでもそんなことを書いたりしたので、こちらのブログにもそういった話を書いてみようかと思います。     自己肯定は「筋肉」、自己受容は「骨格」 近年...
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『素直に捉える事』と『鵜呑みにする事』の違いを突き詰めると『自分軸』と『他人軸』の違いになりました

人は誰でも、物事や情報を捉えていく過程で『自分のフィルター』が働くと思うのですが、素直と鵜呑みの違いは『フィルターがいつどのように働くのかの違い』になる気がします。そして、このフィルターの作用の違いが、自分軸か他人軸かの違いにもなるんじゃないかなと。