フィジカルとメンタルの共通理論 -分離がスタート、目指すは調和-【身体操作とアドラー心理学】

カラダ

ども、こんにちは。高インボムです。

そんなこんなで、身体と心は繋がっていて切っても切り離せない関係なんて言いますが、僕もそう感じることがよくあります。

で、日々身体操作の研究をしたり心理学を学んだりしていると、「カラダとココロってその理論においても共通する部分が多いな〜」と思う今日この頃。

今回はそんなことをゆるりと書いてみようかと思います。

 

 

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まずは分離からスタート

身体操作においてスムーズに全身を動かすためには、まずは『身体の各部位を分離させて動かせること』が重要だと言われます。

ダンスのアイソレーションや武術でいう身体を割るなどがそれですね。

これを心の理論、というか僕が好きなアドラー心理学に置き換えると、『課題の分離』という概念にあたるんじゃないかな?とふと思ったんですね。

 

 

課題の分離とは『個人の(精神的な)自立』における概念で、対人関係においてそれぞれが受け持つ責任を明確にしてお互いが干渉し合わないようにすることですが、身体の各部位をそれぞれ個別の人物だとして考えると、身体操作でも同じように言えるんじゃないかなと。

アドラー心理学では課題の分離が『スムーズな対人関係の出発点』だと言われますが、同様に、身体の分離は『スムーズな身体操作の出発点』と言うことができます。

 

 

そして調和を目指す

身体を分離させて各部位を独立して動かす事が出来たら、今度は各部位の動きを繋げて統合していくことで、全身をよりスムーズで機能的に使えるようになるわけですね。

で、先程と同様に考えると、これはアドラー心理学の『共同体感覚』にあたるとも言えます。

共同体感覚とは『他者と繋がり調和した社会を形成すること、そしてそれが人としての幸せに繋がる』という概念です。

 

アドラー心理学では、対人関係の最終目標は『共同体感覚』だと考え、その入口として『課題の分離』があるとされます。

課題の分離はあくまで入口であり、そこで終わってしまうと、それぞれが孤立した存在になるだけで社会としては機能しなくなるので、個々が自立した上で再び調和して繋がり健全な社会を築くことが個としても全体としても大切、というわけです。

 

先程、身体の各部位を個別の人物として例えましたが、それに加えて全身を人間社会、という風に置き換えて考えていくと、身体操作も全く同じだな〜と思えてきます。

全身がうまく調和して繋がることで高度な身体操作が可能になりますが、そのためには身体の各部位を分離してそれぞれ独立した動きができる必要がある、という感じですね。

 

 

姿勢と脱力

身体の各部位の分離や全身の調和がうまくおこなわれるためには、その土台として姿勢や脱力がとても重要になります。

この姿勢や脱力というのは『身体のあり方』のことですが、これもアドラー心理学に置き換えると『ライフスタイル(≒心のあり方)』という概念にあたるかなと思います。

 

身体操作では姿勢と脱力の関係やその重要性の話がよく出てきますが、心についても同様だと言えるかもしれません。

 

 

まとめ

まとめると、身体のコントロール(身体操作)も心のコントロール(対人関係)も、まずは『分離(身体の各部位の独立/個人としての自立)』が重要で、それが出発点になる。

しかし、それで終わると身体操作も対人関係もただバラバラになっただけで全体(身体全体/社会全体)としてはうまく機能しないので、個々が自立した上でそれぞれが繋がり調和していくことが大切である。

そして、それらをうまく行なうための土台として、『あり方(身体のあり方/心のあり方)』が大事になる。

 

と、自分がどこまで出来ているかは置いといて(笑)、ふとそんな事を思ったのでした。

 

 

他にも、心に関する話では『外側の世界ではなく自分の内側を見ることが重要』なんてよく言われますが、身体操作においても外側(筋肉)ではなく内側(骨格)を意識することはとても重要ですね。

そんな風に考えていくと、身体と心ってその理論においても共通項が多いな〜と思う今日この頃です。

 

では、本日の考察はこれにて。

サラバオヤスミマタアシタ!