『自由』と『好き勝手』の違いを考えてみた -自由とは自然体であり自立する事であり、そのために基礎がある-

雑記

ども、こんにちは。高インボムです。

そんなこんなでウチのレッスン、固定の日時で行なうスタイルではなく、その都度お互いのスケジュールを合わせて行なういわゆるフリータイム制になっています。

これは、僕自身が演奏活動と並行してレッスンを行なっているのと、何より自由が好きだからっていうのがあってそうなっているのですが、

来てくださる方に「自由なスタンスで通えるので仕事と両立できて良い」なんて言ってもらう事が時々あり、そういう風にメリットを感じてもらえるのは僕としてもありがたいです。

 

で、今回はそんな『自由』というものをテーマにしたブログ記事です。

 

 

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自由と好き勝手は違う

この数年間、『自由』というものについて考えることが自分の中で増えてきました。

その中で、「自由と好き勝手って似てるようで違うよな。その違いって一体何だろう??」と思うようになってきたんですね。

 

例えば普段の生活においても、身体操作や音楽・芸術においても、「自由な振る舞い」「自由な表現」もあれば「好き勝手な振る舞い」「好き勝手な表現」もあります。

自分のことを振り返っても、「今思えば自由ではなく好き勝手なだけだったな〜」なんて思う過去があったり…(汗)

 

では、自由と好き勝手を分けるその違いとは何なのか?

 

 

自由とは自然体

まず思ったのは、『自由』とはとても自然な感じがするということ。

自然体というやつですね。

それに対して『好き勝手』というのは、どこか不自然な感じがするんですね。

 

何となくそんな感じしませんか?これ、僕だけかな?(笑)

 

で、そう考えると、リラックスと緊張、無意識的と意識的、という対比も成り立つように思います。

 

 

今の人間社会というのは不自然と思える部分がいくつもあり、その中で生きている僕らにも不自然な部分が数多く形成されてきていると思うので、自由=自然だとするなら、自由であるには不自然を減らす事が大切な気がします。

実際に、心身共に自由である人は身体も心も自然な状態であるように思えるし、自然体であることと自由であることには密接な繋がりがあるように思えます。

 

余談ですが、雀鬼・桜井章一さんが著書の中でとある先住民族との交流話を書いていて、そこで彼らの自由な生き方や身体能力の高さ、感覚の鋭さを語るとともに「先住民族の人たちはクセが少なくて、皆とても自然体なんだ」といった事を述べていて、個人的に面白い話だなと思いました。

 

 

自由はその周りも自由になる

次に、自分に馴染みのある音楽(演奏やアンサンブル)に置き換えてみると、更なるヒントが見えた気がしました。

 

演奏においても、自由な演奏もあれば好き勝手な演奏もあるわけですが、「自由な演奏はその周りの人達も自由に出来る」のに対し、「好き勝手な演奏は周りが尻拭いをする必要がある」ということ。

言い換えれば、周りに対して自由を与えるのか不自由を強いるのかが、自由と好き勝手の違いなのかもしれないな〜と。

そして、周りに尻拭いをさせないためには自分でその責任を持つこと、つまり自己責任が必要になるので、自由と自己責任はセットになるんだな〜と、そんなことを思った次第です。

 

 

 

本当の自由とは自立していること

ふと思ったけど、野生の動物が自由に見えるのは、自然な状態で自己責任で生きているからなのかもしれないな、と(そしてそれが当たり前なのでしょう)。

 

突き詰めていくと、

本当の自由とは自立している事

なのかもしれません。

 

思えば、本当の意味で自由な生き方をしている人たちは、みんな自立している人たちでもあります。

人間は社会的な生き物なので、各々が様々なコミュニティに属したり形成したりしていますが、自由な生き方をしている人たちは個々が自立した上で必要な時に支え合っているという感じがします。

音楽においても同じで、自由な表現ができるミュージシャンは、バンドでのアンサンブルが素晴らしいのはもちろん、個としても確立されています。

 

こう考えていくと、音楽においても普段の生活や生き方においても、自立なしの自由はあり得ないように思います。

昔から自由が好きだったけど、より本当の自由を体現できるように、僕も精進していこうと思います。

 

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自由な表現のために基礎や型がある

ちなみに音楽において自由な表現をするためにはどうすれば良いか?

今のところの僕の答えは、まずは『基礎』や『型』をその通りに練習すること。

 

例えば身体操作で考えると、身体を自由に操るためには、骨格の構造通りに身体を動かしたり重力に沿って力を使う事が大切になります。

ここで出てくる骨格の構造や重力の法則は、誰にも等しく共通する原理・法則で、身体操作に限らずこの世の中は色んな原理や法則で成り立っています。

もちろん音楽においても、リズム・メロディー・アンサンブルなど、様々な原理や法則の中でその表現が成り立っています。

 

なので、そういった基本的な原理や法則を理解して利用する事で、表現としての自由度が高くなるということ。

そして、優れた型とはその為の良いツールになっているんですよね。

要するに基礎を大切にという、耳の痛い話になるわけですが(笑)

 

 

もちろん基礎的な練習だけをしていても意味がないし、応用が効かずに型にハマってしまっては逆に自由な表現から離れてしまいますが、建物の基礎と同じで、土台がしっかりしていないとその上に色んなものを積み上げて形あるものを築くことができないのも事実。

昔、とあるギタリストが雑誌の連載コラムで「スケールを理解している者だけがスケールから外れる事ができる。何も知らずに外れるのはただの音痴だ」と述べていて、これはギターに限らず全てに通じる事だなと思いました。

要するに「基礎を身に付けている者だけが応用へと発展させられる」ということ。

同様の事をおっしゃっている方は本当に多いし、むしろプロや達人と呼ばれる方々で基礎を蔑ろにしている人はいないように思います。

 

なんて言うとなんだか厳しい話のように聞こえるかもしれませんが、決してそうではなく。

音楽の事を全く知らない初心者の方でも、はたまた不自然が身についてしまった僕ら現代人でも、基礎や型を練習することで原理や法則を身体や感覚で理解できるようになる、もしくは自然な状態に近づけていく事ができる、つまり自由な表現に繋げていける、という事です。

そういうわけで、「自由な表現」を目指すのであれば、まずは『基礎』や『型』をその通りに練習する事をオススメします。

 

て、僕もエラそうなこと言ってる場合じゃないな(笑)。

これを機会に自分の基礎を見直していきます…!

 

 

てなわけで、本日はこれにて。

サラバオヤスミマタアシタ!